十牛図4から6
こんにちは。
日本はまだ雨がひどい地域もあるようですね。
お気をつけくださいませ。
こちらは今日も良いお天気で、ありがたく気持ちよく過ごさせていただいています。
昨日の話の続きをシェアしてみます。
4.得牛(牛を捕まえる。)
やっと牛を縄で捕まえるが、牛は捕まえられたくない。
これが瞑想を始めたばかりの時で、誘導を聞きながら従うのはむずかしくない。
=牛を捕まえるだけなら難しくないが、ずっと捕まえてコントロールするのは難しい。=誘導を聞いて座っているだけならそれほど難しくない。でも、あるレベルまでくると意志と強さが必要になる。
座ったらすぐに思考が忙しくなって、過去の記憶や、未来の予定などが気にかかり、
身体が痛くなったり、かゆくなったり、眠たくなったり、ソワソワしたり、空想したりしてしまう。
これは20年も30年も積み重ねてきた習慣が邪魔をしている。だから
習慣をかえるには、時間がかかる。
5.牧牛(牛を飼いならす)
牧人は牛の番ができるようになり、牛もそこまで暴れることはなくなる。
並んで手綱を緩くして歩けるようになっている。=瞑想でいうと、座位に慣れてきていて、体やマインドと戦うこともなくなってきている。ある程度の時間、集中できるようになり、静けさや明確さが日常生活を助けるようになっている。
牧人は戦いは終わっても注意が必要だとわかっているから、手綱を緩く持っている。
牛もおとなしくしているように見れるけれど、いつでも逃げ出しかねない。
=禅の練習には自信は必要ではあるが、傲慢にならないように注意しなければならない。
禅のすべてを知っていても、気を散らすもの(娯楽など)の力はとても強いので、
決意と規律が必要である。この絵は注意を伴う成熟を表している。
6.騎牛帰家 (牛に乗って家に帰る。)
手綱はなくなり、牧人は笛をふきながら、のんびりと牛に乗っている。
牛も言われなくてもどこに行くかわかっている。
=簡単で、ゆったりとして、自由なイメージ。
禅といえば、厳しく、真剣なものと思われたり、
精神世界に携わるひとは暗くて冷静でいなければいけない、というように思われたりするけれど、
上級者になると、その中に喜びや創造性を見つけることができる。
そして、自分自身を以前より真剣に受け止めなくなり、
自分の変化や、
常に変動する自然に対してオープンになり、より人生を楽しみ始める。
=人生を歌って踊るように過ごす。
そして、自分の体とマインドと友達になる。
禅には創造性があること。
自分自身、世界を受け入れることによって、開かれていないポテンシャル、恐れ、不安が解放される。
そして、音楽、絵、詩、料理、ガーデニング、子供や老人と過ごすことなどを通して、自分を表現することができるようになり、
やることすべてがアートになり、義務でなく、本来の自分を姿を表現する方法になる。
だんだんレベルアップしてますね。
瞑想においては私も4のように、気が散ったり、体が痛くなったり、します。
最近は頑張りすぎていたのか、体に違和感を感じて、怖いような感覚になることがありました。これは手放すということができていないようです。
旦那さんもですが、ほかの瞑想の先生なども言っていますが、この手放すときがとても怖い感覚があるそうです。もしかしたら、そういうことなのかもしれませんね。
4最後に言われている習慣を変えるということをテーマにしたDrジョー ディスペンザの本も今読んでいるので、ここを楽しく時間がかかったとしても、練習続けたいです。
以前のDr,ジョーの記事↓
5から先は自分の体験はない、未知の世界であり、
このように成長していきたいというお手本になっていきます。
5ではできるようになったことの継続的に続け、生活の一部になるのでしょう。
6まで練習できると、かなり軽やかに、生活一つ一つがアートになっています。
ダウンロードしながら仕事をしているひとは多いですよね。
アーティスト、成功者などはこの状態なのかもしれませんね。
牛の話、10まであるのですが、7から先はかなり深い世界になっていきます。
まだまだ想像の世界ではありますが、また次にシェアしたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
Have a great day!