krose 海をわたる

40代 南カリフォルニアから毎日楽しくワクワク過ごしたい専業主婦のひとりごと。

Boundaries=境界線

こんにちは。暦の上では秋。

日本は随分すずしくなっているとききました。

こちらも朝夕は涼しくなり、日没もはやくなり、秋らしくかんじることもありますが、

まだまだ日差しは強く、暑くなる日も多いです。

 

先週から息子の通っている学校もオープンして

6か月ぶりに学校に実際に行きました。

とても楽しかったと話していました。

私たちの住む地域では1クラスの人数を少なくするために、

1クラスを二つのグループに分け、

火、木または水、金に実際に週二回実際に学校に行きます。

当たり前に毎日学校へ行けた日々がありがたく感じますね。

 

さて、オンラインで学ぶということが当たり前になって

私も英語の勉強をオンラインでしています。

ありがたいことに、こちらの教会の英語クラスのご縁で先週から新しいクラスに参加しています。

通常の英会話のクラスとはちがいある1冊の本をテーマに意見交換、理解を深めるというクラスです。

このパンデミックのおかげで、英語で本を読むことに抵抗がなくなったので(もちろん興味がある分野のみですが 笑)すぐに参加を決めました。

 

教会のクラスなのでもちろんクリスチャンの本ではありますが、

すごくためになるので、自分の理解も深めるためにシェアすることにします。

 

本の題名はBoundaries

 

 日本の翻訳本もみつけました。

 

境界線(バウンダリーズ)
 

 

本の始まりはとても忙しい女性シェリーの日常から始まります。

 

小学生の2人の子供をもち、仕事もしているワーキングママの話です。

朝起きた瞬間からやることが山積みで、いっぱいいっぱいな状態。

子供の衣装を縫い終わる期日だったのに、

前日にさみしい自分を慰めてほしいお母さんが突然やってきてできなくなり、

朝ご飯の席に二人の子供をすわらせるのも、旦那さんの協力もなく大変。

どうにか子供たちをおくりだし、化粧を車の中でしながら出勤し、

昼休みまえに20年来の友達からの電話で愚痴をきいてあげて、

自分の休み時間は15分しかとれず、

ボスからは急なしりぬぐいを言い渡される。

そのあとは息子の問題行動について、担任に呼び出され学校に行く。

帰宅して準備をして、朝と同じで子供を席につかせるのも一苦労でやっと夕飯。

そうこうしていると電話がなり教会の仕事を頼まれる。

いっぱいいっぱいな自分について相談しようとすると旦那さんはもう寝ている。

ひとりぼっちで神様に見放されてるように感じる。

 

この女性のようなことは日常におこりやすいですよね?

私も以前はやることが山積みの毎日を経験したことがあります。

おかげさまで今は平和な毎日を過ごさせてもらっています。

 

この女性がいっぱいいっぱいになっている理由がわかりますか?

これが境界線をはっきりさせてないための問題点です。

 

シェリーがやっていて全く機能していないものが

1.とにかく一生懸命やる(旦那さんにたすけてほしいといわずに自分ですべてやる。など)

2.他人にたいしてもっとナイスになる(お母さん、友人、教会のひとに時間がない、NOとつたえられないなど)

3.他人に対して責任をとっている(ボスのしりぬぐいをしているなど)

 

A.境界線とは?

 

敷地を分ける線。フェンス。これが自分のもの、あれが他人のものとはっきりさせる。

終わりとはじまりをはっきりさせる線。

あなたとそれ以外の人の違いを分けるもの。

 

B.境界線とは例えばどういうもの?

 

1.肌;自分と他人を分ける。体の臓器(必要なもの)を中に保ち、細菌感染(悪いもの)などを外へと分ける。

2.言葉;NOと言うこと

3.真実;真実を知ることで守ることができる。聖書のなかのアダムとイブのはなしのように、蛇(悪魔)のささやきにより、真実をまもらなかったために引き起こされる結果がある。

4.地理的距離;危険な場所、傷つけられる場所から実際に距離をとる。=その場から逃げる。

5.時間;コントロール不能になってしまっている人やモノと離れる時間をとる。たとえば親子関係でもある一定の時間連絡を絶つことなどでよい関係になることが多い。

6.心の距離;虐待や傷つけられいる状態のひとは安全な場所をみつけ、その状態が完全に変わるまで自分の心を開かずに守る。

7.他人;正しい境界線をひくために他人(専門家や教会など)の助けをかりる。

8.必然的な結果;お金がないのに、次の仕事もなく今の仕事を辞めると結果は必然的ついてくる。

 

3.どうして境界線が必要なのか?

 

自分の時間や気持ちを、他人を尊敬するのと同じように守るため。

健康的な人間関係を保つため。

良いものを中に保ち、悪いものを外に出すため。

 

人間関係でははっきりとフェンス、壁、サインのようなわかりやすい境界線がない。

でも、概念は同じ。

自分の敷地の責任は自分でとる。オーナーでない人に敷地の責任はない。

 

 

4.だれに対して責任を持つを持つか?

 

英語のresponsible for と responsible to

responsible for ;人やモノに対して責任を負うべき=何かについて責任をもって引き受ける。その人の監督、指導や世話をするのが責務である。

 

responsible toと;人に対して責任のある= もし要求されたらその人に対して自分の決定や行動を説明する必要があるという立場。(たとえば、ボス、旦那さん、クリスチャンならGodなど)

 

ここの誰に対して責任を持つかということが大切で

自分の責任は自分で各々が持つことになる。

 

個々が持てる範囲のリュック(責任、自分の気持ちや態度)を少しの努力がいるとしても持つ。

問題になるのは自分が持つ必要のない大きな岩を助けも拒否して毎日持ち続けているとき

 

もう一つのたとえ話があります。

ある夫婦が著者に相談に来ます。

 

息子がたくさんの問題をかかえていて

ドラッグをやっていて、学校もやめて、25歳になっても仕事もありません。

 

著者;息子はどうしてきてないの?

夫婦;息子は自分に問題があると思っていないから。

 

すべての問題を解決するために学校をかえて、金銭的な助けもすべてしてあげたけど変わらない。

 

著者;彼には問題はありません。

彼は全く困っていない。困っているのは夫婦であることをつげ、

彼の問題を解決することはできないけれど

あなたたちを助けて、彼に問題をもたせることはできますよと。答えた。(笑)

 

この状態は息子の敷地は全く問題なく、ごみもなく快適で、

それを助けている夫婦の庭がぐちゃぐちゃになっているという状態。

 

要は息子が自分に問題がないので、解決する必要がなくなっているということ。

 

もう一つのたとえ話。

ある講演の中での質問で

息子がドラッグ保持で捕まってしまいよい弁護士とお金があれば助けることができるんだけど

でもそれがないからどうしたらよいかとある女性が尋ねたそう。

そうしたら後ろのほうに座っていた男性が

自分は質問者の女性の息子さんと同じ状況にあり、その時自分の母親は

助けないことを選び、自分は刑をうけ、そこで神と出会い更生することができたとはなしました。

 

助けないということはタフな愛であり、真実の愛であることの二つのたとえ話でした。

 

5.あなたの生活の中で健康的な境界線は?

 

私は結婚した時点で主人にならったとおり、

自分の母親(うちは片親なので、通常ご両親になると思います。)よりも

主人の意見をかならず聞くことにしています。

この境界線がうまくいかないと、こじれることがあるような気がします。

 

6.あなたの生活の中で不健康な境界線は?

 

まぎれもなくたくさんの例があるように息子との関係です。

守りたい、スムーズにいってほしい、もっとよくなってほしいというたくさんの気持ちが入ってしまいます。

 

たとえば、中学校になってからしかもオンラインなのでクラスが複雑に見えます。

なんどか宿題がでていなかったり、パソコンの前にすわっているのに出席が確認できないという電話がはいったこともあり、

私が心配になりすぎて、いらいらして、すべてスケジュールをチェックして口うるさくいってしまっていました。

でもこれは私の責任ではない。彼の責任を取るべき場所。

問題が起これば、自分にふりかかるということ。

がみがみ言うのも言われるのも両方ともいやですよね。

ここをはっきりとさせて、健康的な境界線を保ちたいと思います。

 

 

 

どうですか?

この境界線という概念があれば、さまざまな人間関係がすっきりとしそうですよね?

 

興味があれば本読んでみて、もし気づきなどがあればシェアしてもらえると嬉しいです。

 

また、毎週1回クラスはつづくので、本読むのが大変なひとは私の必死の解説(笑)シェアを楽しんでくださいませ。(笑)

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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Have a great day!