十牛図 7と8
こんにちは。
九州は梅雨明けをして、セミの鳴き声が聞こえ始めたと聞きました。
湿気のあるあの暑い夏を思い出しました。
こちらは日差しは強いですが、うだるような暑さもなく、
気持ちよく過ごさせていただいてます。
今日も昨日にひきつづき、十牛図のシェアをします。
7. 忘牛存人(あるがままに生きる)
牧人は牛のことを忘れて一人で休んでいる。
それまではやらなければいけないことや、練習しなければいけないことがあると考えていたけれどそれはなくなった。
それまでは精神性と精神性ではない、または禅と禅ではないというように
二面性があったが、
このステージになると練習は一体となり、もはや特別なことではなくなる。
特別な場所で座るときだけでなく、すべてが瞑想になる。
気づきは呼吸レベルで自然になり、自分自身、体、マインド、心、この世のすべてが平和になる。
規律を守る努力ももういらない。教義の練習や習得は重要ではなくなる。
自然と寛大になり、このステージになると不親切であったり、ウソをつくという考えさえなく、全く浮かんでこなくなる。=煩悩やエゴがなくなる。
8.人牛俱忘(空白となる)
牧人も牛ももういなくなり、ただの黒いまるになる。これは空である。
練習と一体になった時には、練習をしているのは「私」という考えがあった。
今はそれもなくなり、何も自分たちに属しているものはないと本当に気付いている。
存在をしていなければ、気にすることさえできない。
すべては条件でできていて、常に変わり続ける。どこにも行先はないし、固執することもない。
重荷はなくなり、とても軽く感じる。
そしてすべては無から始まっていることに気づく。
無は、空虚でもブラックホールでもなくて、無限の変容の可能性である。
執着も自分で作り出した壁も制限もない。
仏性は輝き、自分自身を完全に表現することができる。
6まではなんとなく体験を通して理解できたのですが、
このレベルになると、体験できていないため、理解がふわっとしています。(笑)
前回の6からさらに練習をつづけることで悟りを開くようになり、
7が浅い悟り(直感、直観、シンクロニシティ)にあたる。
すべては自分の在り方次第=煩悩、エゴがなく生きていく状態のようです。
8は深い悟り(神の啓示、フロー状態、スポーツ選手のゾーンなど)にあたる。
一生ものの体験となります。
圧倒的な感動とそれによる自己変容とつながるそうです。
十牛図はもともとは八牛図だったそうで、後年9,10が加えられたらしいのです。
この理由が
1から8までは自己修養のステージをあらわしていて、8の図が自己修養のゴールになるそうです。
このあとの9,10は利他、世のため人のために自分を生かす段階をしめしています。
次回につづきます。
自己修養のゴールに達成でき、世のため人のために自分を生かせるという自分をめざして、
今できることから地道にコツコツやってみたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
Have a great day!