境界線 職場編 ①
こんにちは。
すっかり春になり、気持ちよく過ごさせていただいてます。
入学式の準備で忙しいという友人もいます。おめでとうございます!
新しい始まりの季節ですね。
さて、なかなか書きたくても書けなかった境界線シリーズですが、
今も毎週月曜日に勉強していて、すでに11章まで進んでいます。
今週読んだところが、とても興味深かったので、
シェアしてみようと思います。
前回の境界線の記事
↓
11章では職場での境界線について書かれてあります。
今週のディスカッションは仕事とはなにか?
を主に話し合いました。
この章に書かれてあった仕事の定義なんですが、とても面白い切り口です。
聖書の創世記にでてくるアダムとイブのお話までさかのぼります。
創世記で神様が6日間かけて、天と地を分け、光をつくり、昼と夜をつくり、
空をつくり、土と海をつくり、植物をつくり、動物をつくり、そして
人間を作ります。
まずは男性、アダムをつくって
エデンの園の管理をまかせて、作ったものすべての名前をつけさせました。
動物たちは仲間がいて助け合っているのに、人間のアダムだけ一人でいるのはよくない、ということで
アダムの肋骨から女性、妻のイブを作ります。
エデンの園には綺麗な水とおいしい実があり、何不自由なく、暮らしていました。
恥と言う概念がなかったので、裸で過ごしていました。
神様からのたった一つだけの約束が
エデンの園の中のなにをたべてもよいけど、知恵の木の実だけは食べてはいけない。
ということで、食べたら死ぬと言われていました。
そんななか、悪魔の使いである蛇がイブに、
知恵の木の実を食べても死なないし、
食べると神様みたいになんでわかるようになる。
とそそのかして、イブが実を食べてしまいます。そして、夫のアダムにも食べさせてしまうのです。
二人は裸であることが恥ずかしくなり、イチジクの葉っぱで腰巻をつくってかくします。
これが羞恥心=罪=神様のコントロールから外れることから生まれました。(他の動物にはありません)
二人は約束を破ったので後ろめたくて、神様から隠れますが、当然見つかります。
そして神様から何で食べてしまったのか問い詰められると、
アダムはイブが勧めたから!といい、イブは蛇が勧めたから!と人のせいにします。
自分の非を認めず人に押し付けるというのも「罪」から来るおこないですね。
もちろんそんな言い訳は通じなくて、エデンの園から追放され、
アダムは食べるために汗を流して働かなくてはならなくなり、
イブは子供を産むには痛みを伴うようになります。
そして、いつか必ず死ななくてはならないという大きな罰も与えられます。
アダムとイブの先祖である人間は生まれながらに罪深いというわけです。
この事件をThe fallと呼んでますが
The fall以前の仕事は、
神様の愛のもと、エデンの園の管理をすることでした。愛から来るやりたいからやる仕事でした。
でも、The fall以降は
しなければいけない、義務的な仕事に変わってしまいます。
義務的にやることによって反抗的に感じたり、怒りを感じたり、悪いことをする動機になりやすくなってしまいました。
一番初めの罪でもわかるように、責任転嫁(アダムはイブのせいに、イブは蛇のせいに)は、今の職場でもよくあることではないでしょうか?
そんなこんなで、人間は自分の態度、才能、選択に責任を持ち、効率的に仕事をできなくなってしまったというわけです。
職場で問題が多いのは納得がいきますね。
聖書のcolossians 3;23 Whatever you do, work at it with all your heart, as working for the Lord, not for human masters.
何をしているにしても、心から働く。人間である雇い主のためではなく、神のために。
これは、以前教会の牧師さんのお話で聞いたのをおぼえています。
すべての仕事を神へのサービスと思ってやる。
これは、職場でいやなことがあったり、家事が嫌になったときに思い出すとよいな、と思いました。
また、新約聖書の中の教えでも仕事というのは、この世においての一時的な満足や報酬ではなく、永遠の仕事にむけての準備のために、人間性を高める場所ということです。
私が勤めていた時は、自分にとっての修行とはよく考えて仕事をしてましたし、人間的な成長も確かにあると思います。
ただ、神様のために仕事をしようとは思ったことがなかったので、
これからはどんな仕事も授けていただいているので、ありがたく楽しくさせていただきたいと思います。
次は具体的な職場での問題についても、またシェアしてみたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
Have a great day!